『 日本の 礼儀作法 ~宮家のおしえ~』感想

本を読む

おうちリス

こんにちは、おうちリスです。今日は前回の記事に出てきたパターン教育と関連した 礼儀作法 のお話です。まったく別の方たちが同じようなことをおっしゃっていると、真実味が増しますよね。

 

主に3歳未満の子育てをする上で、意味や解釈は後回しにした、パターン教育の重要性を認識した前回のブログでした。早期教育と呼ぶと一見たいそうなものに思えますが、要は、あいさつを大切にしながら日常を丁寧に生きることの繰り返しを実践して見せる。していいこと、してはいけないことを理屈抜きで心と行動に刻んでいくのが躾なのだと、私は解釈しました。よろしければ先に以下の記事をお読みください。

0歳からの 早期教育 で大切なこと

2019年1月22日

 

この本を選んだワケ

さて、あいさつや日々のふるまいの重要性を認識した私は、礼儀作法を知りたくなりました。そこで、竹田恒泰さんの『 日本の礼儀作法 』です!

 

日本の礼儀作法
まさに私が求めていたそのもののタイトル

明治天皇の玄孫であらせられる竹田恒泰さんは、たまにテレビで拝見したことがあるくらいで詳しくは存じ上げておりませんが、おじいさまの竹田恒徳(つねやす)さんが竹田宮家の当主であったという稀有な環境にお生まれになって、厳しく躾られたとのことで、興味がありました。

 

躾というものに負のイメージがついてしまった現代で、戦後義眼をはめられる前の日本人の教育が書かれているのではないか!とこの本を選ばせていただいた次第です。

(口調がいつもより丁寧になっているのは竹田さんの著書の影響です)

 

言葉で教えられたのではない

本を読み始めてすぐ、井深さんのパターン教育の話とリンクしている、と思いました。(マーカーを引かせていただきました)

「竹田さんは、どのように皇室や神仏を尊ぶことを学んだのですか」

これもよく受ける質問である。だが、父母や祖母から、皇室や神仏の尊さについて言葉で言い聞かされた記憶はない。ただし、皇室や神仏を敬う家族の姿を見て育ったことは確かである。物心付いた頃から、理屈を超えて、そういうものだと理解していた。むしろ理屈で理解できるようになったのは、大人になって勉強を重ねるようになってからである。

竹田恒泰、『日本の礼儀作法』p.14

井深さんの著書に、「言葉以前の教育、言葉以上の効果」の話がありましたが竹田さんも同じことをおっしゃっています。理屈ではなく身に付いていく。

 

こちらも、井深さんの著書を読んでから今私が考えていた、まさに!のことが書いてあります。

家庭は社会との接点であり、日本人であることの最低限のルールやマナーは家庭でしか教えることができないのではないだろうか。そして、それは論理を説くことではなく、親自身の生き様や、その後ろ姿によって伝わるものだと思う。

そして、もしそれが正しいなら、子供をまっとうな日本人に育てようとしたら、まず親がまっとうな生き方をしていれば、子は自然と親の後ろ姿を見て育ち、まっとうな日本人になるに違いない。日常の何気ない家族の会話や仕草などが、子供に大きな影響を与えている。親が世のため人のために正直に生きていれば、子も同じような生き方をするようになるし、嘘つきの親に育てられた子は嘘つきになる。「子は親の鏡」というのは真理であろう。まず私たちが正しい生き方を心がけ、それを若い世代に伝えていかなければならない。

竹田恒泰、『日本の礼儀作法』p. 257

言葉が出るまでの赤ちゃんが一番多くの時間を過ごすのはおうちですから、家庭でしか最低限の 礼儀作法 が身に付かないのは納得です。

なんなら、胎児の頃からお手本を示しなさいと井深さんはおっしゃっているので、やはり家族と家庭が第一です。小学校に上がる頃には言葉が完全になってしまうので確かに遅いでしょうね。

 

そして、私が知りたかった礼儀作法についてですが、竹田さんの著書には大きく分けて以下の作法のお話が書かれています。

  • 食事の作法
  • 動作の作法
  • 言葉の作法
  • 敬語の作法
  • 付き合いの作法
  • お金の作法
  • 服装の作法
  • 生き方の作法

ここから、私が気になったところを少し紹介させていただきます。

 

敬語の作法

まず、衝撃だったのが「敬語は相手を敬うために使うのではなく、下位者が上位者に使うことが決まりなので、使う」ということです。ただのルールです。

もう記憶が定かではないですが、相手を敬うために使うのだと習った気がします。尊敬している方に対して、使うものだと思っていました。

まぁ尊敬できない相手にも敬語を使って生活してきたので、自然と決まりを守ってはいたようです。カフェでアルバイトをしていた時、横柄なお客様に「外で会ったら貴様なんぞ!」と思いながら敬語で丁寧に接していましたもんね。

 

あ、日本人のこういうところに、海外の方は裏表があると思うのでしょうか。「敬語はただの決まりで、基本的には感情とは関係ないのですよ」と言えば理解しやすそうです。

 

上位者と下位者

とてもわかりやすい例が竹田さんの著書にありましたので載せさせていただきます。(p.131より)

 

上位者下位者
神様
天皇・皇后国民
先生生徒
上司部下
店員
クライアント下請け
世間自分
先輩後輩
年長者年少者
知らない人自分・家族

ポイントは、上位者と下位者の区別は立場の違いであって、身分や尊卑とは無関係であることです。感情とは関係なく、機械的に立場が決まると思えばわかりやすいですし、受け入れやすいですね。

別に相手を尊敬していなくても使っていいんだとわかったら、すっきりしたというか、今までより敬語を使いたくなりませんか?

敬語は第三者として聞いていてもきれいだし、内容として酷いことを言っても美しいというか(笑)品を損なわずに戦える感じが素敵だなと思います。嫌なことを言われたとして、どんなに腹が立っても言葉遣いが汚くなってしまっては、自分も同じところに堕ちてしまう感じがしますが、美しい日本語なら自分を保てるような気がします。

 

親と兄に敬語を使うのはピンときませんでした。私は、親に敬語を使っている人を見たら、ものすごく育ちがいいのだなと感じます。あぁ、なるほど。育ちの良さは貧富ではなく、礼儀作法ができているかどうかなのか。

 

「お~になる」「~れる(られる)」

敬語の項目からはもう1つ。これは昔からまぎらわしいと私が感じていた部分を竹田さんがわかりやすくお書きになっています。

 

尊敬語として「お~になる」という表現があります。

  • お目覚めになる
  • お入りになる
  • お召しになる
  • お召し上がりになる
  • お出かけになる
  • ご覧になる
  • ご到着になる

など。動詞を簡単なルールで尊敬語にできます。

 

そしてまぁルールとしてはさらに簡単に尊敬語にできる表現に「~れる(られる)」があります。上と対になる例を挙げてみました。

  • 起きられる
  • 入られる
  • 着られる
  • 食べられる
  • 出かけられる
  • 見られる
  • 到着される

 

すぐお気づきになると思いますが、受け身の表現や「~できる」の言い方と変わらないのですよね。

 

  • ぼく、一人で起きられるよ!
  • 泥棒に入られる
  • 着られるならその服あげるね あの人、服に着られてるね
  • ピーマン食べられるよ! プリン食べられちゃった
  • 一人で出かけられるもん!
  • ここからパンフレットと同じ景色が見られるよ さっきからねこに見られてるなー
  • 予定よりかなり早く到着されてしまった

例文考えるのってちょっとおもしろいですね。

 

昭和天皇の侍従長を務めた入江相政さんは「~れる(られる)」型の尊敬語を「サラリーマン敬語」と呼んで、忌み嫌っていたそうです。

竹田さんも「実に使いづらく、品格のない敬語」とおっしゃっています。確かに、意味が分かりづらいうえ、「お~になる」の方が圧倒的に丁寧に感じます。

私のお気楽な例文だと伝わりづらく、そのうえ間違っている可能性もあるため、竹田さんの著書から引用いたします。

△「殿下は、質問されました」

やはりこれでは、殿下が質問した側なのか、質問された側なのか、分からない。これも「お~になる」型の尊敬語に置き換えると、全て問題が解決する。こんな具合である。

〇「殿下は、ご質問になりました」(質問したのが「殿下」)

〇「殿下は、質問をお受けになりました」(質問を受けたのが「殿下」)

竹田恒泰、『日本の礼儀作法』 pp.148-149

 

これからはなるべく「お~になる」を使うぞ、と心に決めました。

おうちリス

品格を手に入れたいです、はい。

 

付き合いの作法

この項目も大変勉強になりました。

黄金の人脈を築く究極の方法と、断るときの作法の2つが特によかったです。

 

「人間関係の入り口と出口を間違えてはならない」ということである。具体的には、人に頼み事をするときに、必ずその人を紹介してくれた人を通して頼むこと、これが「話の入り口」である。そして、人に頼み事をしたら、その結果を、その紹介者に必ず報告すること、これが「話の出口」である。

竹田恒泰、『日本の礼儀作法』 p.163

黄金の人脈を築く方法は、今まで全く意識してきませんでした。そもそも人脈がなさすぎるのか、自分の直接の知り合いにしか頼み事をしたことがない気がします。。もう少し多くの人と関わるような生き方をしたいと反省の想いです。

でも仮に、紹介してもらった誰かに連絡を取りたいとき、きっと私は紹介者を飛ばして連絡してしまう気がしました。報告もしなかったでしょう。それくらい、意識したことがなかったです。知ることができて本当によかったです。

なぜ入り口と出口が大切なのかは、本に詳しく書いてあります。大学1年生あたりには読んでおきたかったと思いました。

 

断るときの作法は、さらにシンプルです。断るときこそ、電話などではなく直接会って(手土産を持って)相手の目を見て伝えるということです。

これは確かに断られても悪い気がしませんね。わざわざ会いに来られたら驚きます。まさに「ピンチはチャンス」なるほどー

 

お金の作法

先ほどの黄金の人脈を商売に利用しないこと。利用したらもう人脈はそこから広がらないし、損得勘定の付き合いになってしまう。金の切れ目が縁の切れ目の関係だなんて悲しい。

特にその次の、「お金を貸すくらいならあげてしまえ」に共感しました。断っても貸しても、その人間関係は壊れてしまうけれど、自分が出せる金額をあげてしまえばお金は返ってこなくても感謝されるし、関係も強化される。

それに、自分が困っている時に「返さなくていい」ともらったお金はなんとしてでもいつか返そうとするのではないか。そういう話です。

 

私はまだお金の貸し借りの経験はないけれど、誰かにモノをあげるときには、捨てられてもいいと思ってあげています。

あげたものをどうされようと、それは相手の勝手だよなと、とある経験から思うようになりました。だから無理してまで何かをあげようとは思わなくなったし、喜んでくれたかな、など相手の反応を気にすることもなくなりました。期待を込めて行動しなくなったというか。変に頑張っちゃうとリアクションを求めてしまうのかもしれない。今では、好意は込めても「どうぞ、あとは好きにして」ポーンって感じです。

 

生き方の作法

前回のブログで紹介した『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』とリンクしているような部分がありました。

今の生活があるのは、親のお陰であると同時に、周囲の人たちに助けられ、大自然の恵みを頂き、そして国家に守られているお陰でもある。常に感謝の気持ちを持ち、他者を尊重し、世のため人のために役に立つために、自らを磨き、いざとなったら公のために尽くせる人になることが、日本人としての美しい生き方であると『教育勅語』は教えている。これこそが日本人の「生き方の作法」なのである。

竹田恒泰、『日本の礼儀作法』 p.253

日本という国家に私たちが守られているというのは、植民地支配されたことがない日本だからあまり考えたことがなかったけれど、実際今も領土問題として周辺国に虎視眈々と狙われているわけで、戦ってきたご先祖様達に本当に感謝なのだと思いました。本土の土地もけっこう買収されていそうで心配です。

植民地支配されていないとは言っても、占領期に日本の国家は内側から破壊されちゃってますけど。。

最近個人的に気になるのは、「平和、人権」を掲げる人たちが普通の日本人より暴力的で礼儀作法のれの字もないところです。なーんか良いこと言ってるなぁと思ったら聖〇新聞のCMだった(笑)みたいな。言葉と実際の行動の矛盾がすごいです。

 

生き方の作法は一番難しいですね。子どもに見せるパターン教育の大部分を占めるところですが言葉や動作などの表面的なごまかしができません。

この本を読んでから、手を合わせて「いただきます、ごちそうさまでした」と言うようになりました。いきなり別人のようにはなれませんから、コツコツと少しずつ礼儀作法を身につけようと思います。

神社参拝の作法

巻末の神社参拝の作法もとても勉強になりました。見えないものの世界は未知なので、怖いと感じる神社もあるし、あまりよく知らないことには関わらないでおこうという気持ちでしたが、作法を知ったことで参拝したくなりました。(正式な参拝は正装とのことでハードルは上がりました)

実際、自分の住んでいる地域の神社(氏神様)にあいさつに行ってみました。調べるまで氏神様がどこかわからなかったのですが、小学生の頃毎年子供会?でしていたお神輿を担いで回るお祭りが、その神様のものでした。高学年の子が天狗役をして(お小遣いが一番もらえる)、手にとげが刺さる花を売って歩いた思い出があります。四方に紐を張った木を地面に叩きつけるお祭り?もありました。少し離れた地域から回ってくるイメージで私は参加したことがないです。夜暗くなってからで、大人の男性がやっていた気がします。

本当に、日本には神道が驚くほど地域に根ざしています。軍国主義と神道が一緒くたにされて、誤解されてから、日本人と神道が切り離されてしまった感はありますが忘れてしまっているだけで繋がっているのでしょう。

歴史を感じます。こんな感じで、おうちリスにはめずらしい真面目な記事を終わりたいと思います。