0歳からの 早期教育 で大切なこと

本を読む

おうちリス

ちょっと今日のテーマはおうちリスには敷居が高いですが、面白かったのでまとめてみます。0歳からの 早期教育 についてです。うまく書けるかなぁ

 

年明けに図書館に本を返しに行きましたら、すっかり忘れていた予約の本を渡されて、ドストレートなタイトルに笑ってしまいました。

 

本 教育 幼児
予約していたのをすっかり忘れていた本

笑ってしまったのは右の、高橋史郎さんの『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』の方です。 なぜ日本人が愛国心を表現しにくくなったのか、なぜ君が代を歌わない学校があるのか、おかしな教科書検定があるのか、靖国神社に参拝するだけで騒がれるのか、日本側の意見とは思えない新聞などなど、色々と複雑な日本社会ですが、なぜそうなってしまったのかが書いてあります。

 

この記事のタイトルで読みに来てくださった方にはこちらの本についてあまり興味がないと思うので話を戻します。

この一見全く関係ない2冊に実は共通点があります。私も読んでいて驚いたのですが、「教育」、それも子どもがとても小さな時期、家庭での教育の大切さについてです。

 

江戸時代の格言と子育て四訓

高橋史郎さんの本から少し紹介して、井深大さんにうつります。

とくに小さな頃は、しっかり抱いて下におろして歩かせたり、「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」(江戸時代の格言)とか「乳児はしっかり肌を離すな。幼児は肌を離せ、手を離すな。少年は手を離せ、目を離すな。青年は目を離せ、心を離すな」(子育て四訓)というように、少しずつ子供と距離を取っていくことが大切だと日本の子育ては教えてきました。あるいは「いないいないばあ」という「あやし」や「笑い」も大切にしてきました。

p.254より

 

江戸時代の格言について詳しく↓

これは、三歳までに心をほどこし、六歳までに躾をほどこし、九歳までに言葉を身につけさせ、一二歳までに文章を教え、一五歳までに人間としての道理を教える。そうすれば人生はうまくいくということを教えた格言です。

p.201より

 

この何歳までにという時期の大切さは、井深大さんの本では臨界期として書かれています。

「三つ子の魂百まで」ということわざが有名ですが何事にも、ある時期を外してしまうとせっかくの能力が育ちにくくなってしまうタイムリミットがあるそうです。

たとえば、生まれつき盲目の人が手術で視力を得られても、5歳を過ぎていたら、物を物として見ることができにくいだろうと言われていること。生まれたばかりのヒナが最初に見たものを母親だと思う刷り込みなどです。

 

井深大さんの教え

井深大(いぶかまさる)さんはソニーの創業者で、後半生を幼児教育に心を注いだことで有名です。企業の人材育成をしていたら、人間、そして胎児にたどり着いたのでしょうね。

私も以前何をきっかけにしたかは覚えていませんが興味を持ち、購入して読みました。胎児は天才なんだと納得させられた本です。

胎児から 本
初版1998年

 

今回借りた『0歳』の初版は1986年なので私が生まれるより前です。どおりで本がボロボロだと思いました。「閉架」のシールも貼られているし、わりと汚いのが平気な私でもちょっと気になるくらいくたびれていました。血が付いているページまであって、血を出してまで読み続けなくてもと思ったり。結構重要なことが書いてあるページに飲み物をこぼした跡があって、驚いてお茶でも吹いたのかと思ったり。でも今私が読んでいるこの本を、たくさんの人が同じように読んできたと感じられるのはなんだか嬉しいです。参考図書一覧のページでいくつかの本にチェックマークが付いていて最後までほほえましい気持ちで読み終わり。いや、書き込んじゃダメでしょうけども。

 

さて、1986年に出されたこの本の内容が、30年以上経った2019年の今、社会に浸透しているかと言ったら正直微妙だと思いました。私は子供を産むどころか結婚もしていないので、妊婦さんのお勉強会のような場でどんな話があるか知りませんが、インターネットで上位に挙がってくる、胎教や早期教育について読む限り、井深さんの言うように胎児がどれだけ天才で、母親との関わりがどんなに大事かは知られていないと思います。

 

高橋史郎さんの本に「若い人たちの間で、男は仕事、女は家庭のような昔の価値観が支持されてきている」と出てきます。敗戦後に日本にはめ込まれた義眼の一つに、男女共同参画社会のような価値観があり、男女は考え方も身体的にも違いがあるのに、無理に平等にすることで日本文化の良い点を壊してきました。

戦前来日して日本を見てきた外国の方が文章を残していたりしますが、彼らが日本人(おとな)を気に食わなくても、「とにかく日本の子どもたちは無邪気で笑顔にあふれていて好きになってしまう」と書くくらい日本の子どもは大事に育てられて幸せだったようです。義眼をはめ込まれる前の日本の子育てはどんな感じだったのでしょうか。

 

子育てよりも重要な仕事はおそらくないです。なるべく早く子どもを預けて職場に復帰するというのが当然の選択肢になっている時点で、井深さんの考えは浸透していないと言えると思います。

でも夫婦で働かないと食べていけないという事実もあって。この辺は歪んでしまった今の日本社会ではどうしていくのか、私にはわかりません。

 

早期教育 という言葉の後ろめたさ

才能教育や早教育に対して一般の人びとが批判的になるのは、ひとつには、(略)いくら小さいときにすばらしい学才を発揮しても、生涯を幸福にすごし、その才能によって立派な仕事をすることができなければ、なんにもならないのではないか、という心配からでしょう。わが子には、平凡でも人間らしい幸福な人生をまっとうしてほしいというのが、親にとってはいちばんの願いに違いありません。

井深大『0歳』p.82

早期教育という言葉を聞くと、なんとなく、厳しいママや子供が虐げられるような負のイメージも沸くと思います。

井深さんの言う教育はもちろん、知識を詰め込むような負のイメージのものではありません。

でも、参考になりそうなので『0歳』に書かれている天才たちのあまり幸福そうでない話を紹介しておきます。

 

偏った天才たちの数奇な人生

まず確かなのは、才能の発揮のために早期教育が果たす役割はかなり大きいということです。しかしその方法が間違ったやり方だと弊害が起きます。

 

モーツアルト

モーツアルトの父は宮廷音楽師であり、街の有能な音楽教師として有名だった。3歳だったモーツアルトにすぐに手ほどきを始める。モーツアルトは5歳の頃から小曲の作曲を始め、6歳でピアノのための協奏曲を作曲するという素晴らしさで、父親は自分の仕事をなげうって、生涯を息子の音楽教育に捧げる。

いろいろな重病に悩まされ、父親の死後は乞食同然に落ちぶれ、追跡妄想を伴ううつ病に悩まされつづけながら、三十五歳で夭折(ようせつ)しました。その原因ははっきりわからず、尿毒症、毒殺、脳病などの諸説があります。

井深大『0歳』p.83

【夭折】若くして死ぬこと。将来を期待されていた才能ある人が若くして死ぬこと。

 

ベートーベン

ベートーベンの父は宮廷楽団のテノール歌手で、ちょうどモーツアルトの神童ぶりが話題になっていたため息子をモーツアルトなみの神童にしたいと、幼い息子に音楽教育をほどこした。だがベートーベンの音楽の才能はモーツアルトのように早期からめざましいということはなかったため、ひどい仕打ちというほどの厳しい教育を続けた。やがて父親は自分では息子を教えきれなくなり、ハイドンやアルブレヒツベルガーなどの一流音楽家に師事させたが、「とても作曲家にすることはできない」と言われるほどその才能は評価されなかった。

ベートーベンは強度の酒癖があり、五十二歳で黄疸にかかり、五十三歳の時には吐血し、五十七歳で世を去りました。意識が失われる直前に、「拍手したまえ、諸君、これで喜劇は終わった」とラテン語で辞世の言葉を残したと伝えられています。

井深大『0歳』p.83

 

パスカル

パスカルの法則で有名なブレイズ・パスカルも、数学者の父が妻を失った後、職を辞めてまで息子の教育に情熱を注いだ。

パスカルも三十九歳の若さでなくなりましたが、お姉さんに、「自分は十八歳のときから一日として悩まなかった日はなかった」と語っていたそうです。

井深大『0歳』pp.83-84

 

ジョン・ラスキン

イギリスの文豪ジョン・ラスキンは敬虔な清教徒であった母親に手厚く育てられた。母親はすべての遊びを罪とみなし、幼いラスキンにおもちゃをまったく与えなかった。また、毎晩数時間、息子といっしょに聖書を読み、父親は息子に詩を読んでそれを朗読させた。ラスキンはほんの数カ月しか学校には行かず、彼の教育はほとんど家庭でなされた。彼は十八歳でオックスフォード大学に入学したが、母親は強引にも大学の近くに部屋を借り、3年間も夫をロンドンに残したまま息子の生活を見守った。彼は結局、満足な結婚生活も経験することができずに妻に逃げられ、晩年に、「私が受けた教育は、一般的にいって間違っていたし、不幸なことであった」と述べている。彼は成長してから何度も発狂し、とくに死ぬ前の一年間は激しい錯乱状態で苦しんだという。

 

ニーチェ

哲学者ニーチェの幼いときも特異なものだった。彼の父親は4歳の時に死に、その7か月後に兄も死んだ。病弱だったニーチェの母は、いっしょに住んでいた夫の二人の姉に支配されて暮らした。祖母も同居していたので、ニーチェは女世帯の唯一の男性として彼女たちから過剰な愛情を受けて育った。そして母親に対しては絶対的な愛情を示すように期待され、母親の意のままにふるまうことを要求された。その結果、ニーチェはまじめで、思慮深く、行儀の良い子供になったが、風変わりなほど堅苦しい面があって、学校の規則にも絶対に従うといった子だった。青年時代から宗教に疑惑を持ち始め、のちには神を否定してニヒリズムの哲学書を書いた。45歳の時に発狂し、母と妹に看護されて翌年に没した。

 

ルター

宗教改革者ルターの母親は、幼い息子が親の目を盗んで栗を食べたというだけで、ムチ打ちの体罰をあたえるほど厳しい教育をした。一介の神父だったルターが、ローマ法王に向かって反抗を示したというのは、私たちの想像以上に勇気のいる行為だったはずだ。彼には、そのような強い正義感の持ち主に育った半面、病的といえるくらい神経質な傾向があって、成人してからは女性恐怖症に陥ったといわれている。

 

あまり幸せそうではない例はこのくらいにしておきます。『0歳』で紹介されている天才の中に一人だけ、非凡な経緯をたどりながら、生涯を幸福にすごした例があります。

 

誰からも愛された天才 カール・ヴィッテ

牧師である父親は、息子に、高い知性だけでなく、深い信仰心と円満な品性が備わるようにすることを最も心がけた人でした。本の中にも、子どもに戸外の自然の中ですごさせることを最優先したと書いていますが、彼は教育の理想を驚くほどこまやかに、徹底して行ったのです。ヴィッテの父が心がけたという点を推量することのできるつぎのような言葉が、本の中にあります。

「子供が順調に成長するためには、妊娠前から準備が始められなければならない。夫は自己を訓練し、自分自身が健康で、知的であって、良い妻をもたなければならない。その結果として、心身の健康な子供が育つのである。出産前に子供の将来のための準備ができていなければならない。そして妊娠中の重要性については、今さら言うまでもないことだが、飲食を節制し、肉体的にも愛しあい、戸外でよく運動し、良い水を飲み、身体を清潔に保ち、責任を忠実に果たし、満足し喜び、そして神に忠実であらねばならない。妻だけでなく、夫も同様に振る舞うならば、神は必ず健康な子供をお授け下さるだろう。子供にこれだけの条件がそろっておれば十分である」

ヴィッテの父は、カールの才能が人より秀でていることを本人に自覚させないように留意し、カールが人から愛される人間に育つことにもっとも心を砕いたといいます。そのために、母親(妻)への心づかいをたいせつにし、つねに愛情のこもった接し方をしたのだそうです。この父の教育したカール・ヴィッテが、すばらしい才能を持ちながら、誰からも愛されて、すこしも傲慢なところがなかったというのも、不思議ではないかもしれません。

井深大『0歳』pp.89-90
おうちリス

カールのパパ意識高すぎ、高すぎさん。「」の内容にくらくらします

 

でも、才能が人より秀でていることを本人に自覚させないようにしたってすばらしいですね。他人と比べ始めてしまうと相手を見下すか、自分を卑下するかしてあっという間に傲慢な人間になりそうですが、そうなりやすい子供時代に、とにかく配慮したんでしょうね。人格が出来上がっていくまで、他人と比べたほめ方をせず、才能をそのまま伸ばしてあげたんでしょうね。すごいな。

 

ドイツの田舎の牧師だったカール・ヴィッテのお父さんは、才能はすべて遺伝であると考えられていた時代に、「赤子のときから適当な教育をしさえすれば、たいていの子どもはかならず非凡になる」と村人たちに、論より証拠で示すために実践した人でした。

 

カールの素晴らしさも書いておきますね。↓

 

カールは、近所の人たちに白痴(知能の程度が極めて低いこと)と陰で噂されたほど思わしくない赤ちゃんだったそうです。

しかし彼は5,6歳になるころにはきちんとした正しい発音でドイツ語を話し、語彙数は3万単語を自由に使えました。その後フランス語に取り組み、一年でマスターします。つぎのイタリア語は6カ月、ラテン語はほとんど自動的に3カ月で。さらに、英語、ギリシア語も覚え、わずか8歳でホーマー(ホメロス)、ウェルギリウス、キケロ、シラーなど大人にも難しい古典や哲学の本を読みこなしました。しかも童話を読むのと同じように楽しく。

語学だけでなく、動物学、植物学、物理学、化学、とくに数学は非常に優秀で、ドイツじゅうに名前が知れ渡るようになりました。そこで1809年、その才能をためす試験が学者たちによって行われ証明されると、彼はわずか9歳でライプツィヒ大学に入学を許可されました。ついには国王もその学才を認め、翌年の秋からはゲッチンゲン大学に入学するようにとの命令が下されました。そうしてその大学に4年間滞在する間に、物理学、高等数学、化学、論理学、言語学などを修め、13歳半でギーゼン大学から哲学博士の学位を授けられました。

その後16歳の時ハイデルベルヒ大学で法学博士号を得て、ベルリン大学の法学部教授に任命されましたが、プロシア王から命ぜられて18歳でイタリアに留学。イタリアでは法律の勉強のかたわら、ダンテに興味を持ち、従来のダンテの学者の誤りを指摘する『ダンテの誤解』という本を書きました。彼は法律を本業としてダンテの研究もライフワークとしてつづけ、大きな成果をあげています。そして帰国後は、1883年、83歳でその輝かしい生涯を閉じるまで、国王の願いに応えて、ドイツの各大学で法律の講義をつづけたのです。

 

早期教育の目的

井深大さんが幼児教育に情熱をかけてきた最初の理由は、「手遅れの後始末の教育」に苦労する現状が残念でしかたがなかったからだそうです。

「手遅れの後始末の教育」とはけっこう衝撃的な言葉です。『幼稚園では遅すぎる』という本を出されたこともあり、英才教育熱をあおった責任者だと誤解する方もいるようなので、井深さんの文章を引用いたします。

いわゆる傑出した人たちの人生が、たいへん波乱に富んだもので、常人の域を脱したものだったのは、そういう人たちの受けた早教育が知的な効果、あるいはあるひとつの技能の習熟にのみ焦点が絞られていたからだ、ということです。(略)カール・ヴィッテのように、人から愛されるというようなことにも配慮して育てられた例は、きわめて少ないのです。つまりいままでは、子どもの能力についての認識が不完全だったこともあって、早教育の目的がかたよっていたと思うのです。

第二章で、たった十五分間の接触(今でいうカンガルーケアのこと)や別離(子犬を母犬から3週間離して人間が育てた実験)がその後の母子関係に影響することをご紹介しましたが、知的発達は後からでも努力できるけれども、心の問題をはじめとして、時機を逃すとどうにもならないものがあるのです。しかし、心は自然に育つか、カエルの子はカエルぐらいの認識で、いつのまにか一人の人格ができあがると考えてしまうのが世のつねです。残念なことに、早教育をしようという親も、そうでない親も、わが子の心が育つことに対して特別な注意を払うということは、知能を育てることに比して十分意識していなかったのではないかと思います。

私がこのごろ切実に感じることは、日本では、どうも知的教育はつぎのつぎの問題にして、温かい人柄と健やかな身体づくりのほうを第一に考えてちょうどよいのだということです。(略)どれだけの知識をもっているかということより、調和のとれた人格、温かい心を持った人づくりということを早教育の目的に掲げなければならないのです。そのためには、「めざましい効果」のある早教育も、従来とはまったく異なった立場で考えなおさなければと思うのです。

ひとつ興味深いことに、いままでにあげた早教育の例は、ほとんど全部父親によってなされています。それもみな、相当厳しい仕込まれ方をしています。知的発達や技術の習得には、父親の力だけでも十分だと思います。しかし、早教育の目的が人づくりだとしたら、端的にいうと、まず母親の優しい愛情を注ぐことが何よりも優先するということになります。何も私がいわなくても、母親の愛情など当たり前のことと思われるかもしれませんが、そこには知的な早教育に注ぐエネルギーや、もっと先で学校教育に頭を悩ます以上のものが必要とされるのです。

井深大『0歳』pp.92-94

 

言葉以前の教育、言葉以上の効果

ではやっと、早期教育で大切なことが触れられている箇所に入ります。

 

井深さんは言葉以前の教育というのは、声をかけたり、お乳を与えたり、抱いたりといった毎日の育児そのものだと言っています。

従来の早期教育では「まず言葉を理解させ、言葉で説明して覚えさせなければならない」という認識でしたが言葉がしゃべれるようになる以前に、お母さんと赤ちゃんの絆をとおして学習したことは、言葉による教育以上のものがあるかもしれないと井深さんは考えました。

 

人づくりは右脳から

モーツアルトの音楽を、音楽専門家と音楽愛好家に聞かせ脳の血流を調べました。同じ音楽を聞いているのに、音楽愛好家のほうは右脳が活発に、専門家のほうは左脳が活発になりました。

みなさんご存知のように、右脳は「音楽」「美術」「立体感覚」「パターン」「直観」「信仰」などの言葉では表しにくいような分野をつかさどるものです。

これに関連することで、鈴木メソードで育った世界的な音楽家の豊田耕児、小林武史両君が、「鈴木式で楽譜に依らずに育てられたわれわれは、音楽を感じる点で、楽譜からスタートした人たちとどうしてもちがうような気がする」と話していたことがたいへん印象に残っています。

井深大『0歳』p.106
おうちリス

音楽に疎い私でも小林武史という名前は聞いたことがあるので、紹介してみました。

で、言葉をもたない赤ちゃんというのは、右脳で学習しているのではないかと考えるわけです。胎児に話しかけるとか、胎児がお母さんの感情をうけとるとかいうことは、言葉や理屈で考えると釈然としませんがそれは私たち大人が左脳で考えているからではないのか。

いくつか例が本には書かれていますが、このブログを読んでくださっている方は女性が多いと思うので、お母さんの感情が乱れたときに胎児もびっくりするのは、まぁそうだろうなと理屈抜きで感じると思うので省略して次にいきます。

 

パターン教育のすすめ

  • スポーツ選手のカンの良さ、的確で瞬間的な判断力は右脳に関係している
  • からだの動かし方をはじめから理屈で習得しようとするとうまくいかない
  • スケーターを育てるには歩く前からスケートをはかせる

つまり、左脳が右脳に勝ってしまうと、素直に身体の動きを習得することがうまくいかなくなるのですが、逆に身体を動かすことによって、右脳もおおいに刺激を受け、その能力が伸びてくるということです。(略)

たとえば、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という気持ちも、こういいなさいと教えられるものではなくて、毎日お母さんを見ているうちに、赤ちゃんは言葉だけでなく、その気持ちもいっしょに自分のものにしていくのではないでしょうか。

井深大『0歳』pp.125-126

ここ!特に二段目の部分。胎児や赤ちゃんは、「ありがとう」という言葉といっしょに、礼をする行動、そのときの雰囲気、お母さんの言葉と表情などまるごとをパターンとして受け止めていると。

言葉を習得してしまうと言葉の意味を考えたりして限定的な学習になってしまいますが右脳全開の時は、ある意味、言葉という邪魔がないぶんパターン認識の能力がずば抜けている。

 

パターン認識とは

パターン認識とは例えば、新聞を一字一句読むのではなく「斜め読み」する。一面をパッと一目で見て内容を把握する、「見て知る」こと。

例えば、画面に点が一つあると、コンピュータは画面の端から端までをなぞり終えてはじめて、点が一つあることがわかる。ヒトは画面を見ただけで「点が一つある」と瞬間的にとらえる。

わかりやすいのは、企業のロゴです。読まなくてもパッと見ただけで認識できますよね。コカ・コーラとか、ユニクロとか、アディダスとか。。

特徴をはっきり説明できるほど理解はしていないけど、この曲はショパンっぽいとわかるとか。

 

赤ちゃんがお母さんを認識するのも、顔だけでなく、匂いとか声、抱き方、身振りなど総合的な雰囲気を感じ取っている。お母さんが赤ちゃんを愛しく思う気持ちや優しさもまるごと含めて「お母さん」と認識している。 

 

  • 父親や家族が碁を打つのをかたわらで見て育つ。はじめから打ち方を教えられたのではなく、そばで見ているうちに碁の型がパターンとして植え付けられた。
  • 小さい頃から念仏や讃美歌、お祈りなどが意味も分からずくり返されると、その「パターン」が身につく。

こんなふうに、意味はわからずとも一定のことをくり返していれば、その「パターン」が身につく、これを教育に利用しない法はないと思うのです。

井深大『0歳』p.136

 

パターンとしての漢字

パターン教育の一例として、漢字の書かれたカードを見せる話が出てきます。

0歳児でも、くり返し見せた漢字を認識できることがわかっています。(もちろん言葉は話せないので、覚えた「教」という字が本の題名にあることを一生懸命身振りで教えてくれたそうです)

 

信じられないでしょうか?赤ちゃんがお母さんと他の人の区別がつく時点で、漢字という特徴的なシンボルを認識できても不思議ではないなと私は思いました。

 

「読める」「意味がわかる」「書ける」の3つがそろって漢字がわかったと考えるのは、左脳の考えです。言葉がなくても、漢字の区別はつきます。

くり返し、漢字を見せながら読み方も話すと、赤ちゃんはその漢字の形と音を、パターンとして認識します。形として覚えているので、画数の多い複雑な漢字の方が覚えやすいんだそう。「麒麟」とか。逆に簡単な漢字はシンプルなので間違えやすいそうです。「日」と「目」、「家」と「象」など。

また、具体的な意味をもったもののほうがわかりやすいというのは、ものごとを論理でとらえはじめる5,6歳を過ぎてからの話なので、「闘魂」「愛情」「八面六臂」など抽象的な要素があっていいそうです。

 

面白いなと思った話を引用します。

「子どもがいつも私の姿を追うので、トイレのドアを閉めないではいりますが、用を足しているあいだにもいたずらをして、トイレットペーパーを引っ張ったりするので、漢字カードで気を引くことを思いつきました。それで、『金魚』『お父さん』『鰯』『桜餅』の四枚のカードをしばらくトイレに置いておきました。それを最近カードの箱に戻しましたら、あるとき『鰯』を見せて『イワシ』と読んで上げると、トイレを指さすんです。それからトイレの蓋を開けてびっくりしたことがあるんです。『金魚』のカードが水に浮いていたんですよ。四枚のカードは完全にトイレカードになってしまったんですね。

まだ言葉は出ないので、そうやって持ってくるカードを読んでやるとニーッとします。」

井深大『0歳』pp.163-164

この『0歳』という本を書かれた時点で、パターン教育には確立された方法があるわけではないとあります。しかし、もしこれまでの教育では引き出すことができなかった赤ちゃんの能力があったとしたら、それを開花させてくれるのは、このパターン教育だと、井深さんは確信しているそうです。

 

調べてみたら公文の漢字カードがあるようです。

くもんのカード(ことば)漢字カード 第1集

価格: 1,080円
(2019/02/08 12:57時点 )

感想:65件

くもんのカード(ことば)漢字カード 第2集

価格: 1,080円
(2019/02/08 12:55時点 )

感想:27件

 

パターン教育で重要なこと

重要なポイントを紹介します。

まず第一に、同じことを何度もくり返して与えるということ、第二に、説明や解説などはいっさいいらないということ、そして第三に、結果を求めることをけっして急がないということです。

p.170

 

くり返し

くり返し与えられたものは、赤ちゃんはすべて吸収していく。くり返されたことについての赤ちゃんの“丸暗記能力”は大人がいくらがんばってもかなわないほど、すばらしい。何かを覚えるのに、赤ちゃんにとって、苦労とか苦痛はない。

また、むずかしいとかやさしいなどといった区別もない。「これは幼児にはむずかしすぎるから、まだ覚える必要はない」というのは、大人の感覚である。

同様に、赤ちゃんにとっては、いいこと悪いことの区別もない。こんなことを覚えても役に立たないとか、これは悪いことだからすぐ忘れようなどということもない。

 

説明不要

理解させて覚えるものと、丸暗記とは区別すべき。”理解させる教育”が効果をあげるのは、子どもが小学校にはいるころ、つまり右脳と左脳の優位性のバランスが入れ替わる6歳前後のころからではないか、と井深さんは考える。たとえ理解できなくても、幼児のうちにインプットされたことは、成長するにしたがって、「ああ、これはこういうことだったのか」と自然に子どもにも理解できるようになる。

漢字カードを見せるときも“解説”を加えないように。

従来の「教育」では、このように意味もわからず丸暗記させることは、「つめこみ」などといって、もっとも良くないとされてきました。しかし、「理解」を金科玉条のようにしている従来の教育観にとらわれて、子どもに理解力が出てくるのを待っていたら、だいじな時期を逃してしまうことになる―私は、このことをいちばん心配しているのです。ロゴマークや車種をいい当てるのにびっくりしてからでは遅いといいたいのです。

井深大『0歳』p.175

金科玉条(きんかぎょくじょう)… この上なく大切にして従うべききまり

 

種をまいたら、開花を待つ

「結果をすぐには求めない」

赤ちゃんに絵本を読んで聞かせるようなとき、赤ちゃんは感想を言ったりはしてくれないから読んであげるかいがないと思う人はいないと思います。

子どもに文字の読み方を教えている大人が「あの字はなんて読むかわかるでしょう」などとテストまがいのことをすることがあります。子どもがほんとうに覚えたかどうかを知りたい思いで“結果”をあせって求めると、せっかく芽生えた赤ちゃんの知的好奇心の芽をつぶしてしまいやすいそうです。

パターン教育の効果が真の意味で開花するのは、それにふさわしい時期がきてから。

 

パターン教育で与えるパターン

どんなパターンを与えるかは、具体的に漢字の話がありました。数字でもロゴでも外国語や音楽でもなんでもいいわけですが、私は、ここまで読んできてやはり生活習慣なのかなと感じました。ここからは私の見解です。

 

大人がごはんを食べるときに手を合わせて「いただきます」と言ったり、お風呂に入って「あったかくて気持ちいいね」と言ったり、ある行動と言葉、その時の状況(食べ物が並んでいる、体がお湯に浸かる感覚)を一つのパターンとしてくり返すことが一番のパターン教育なのではと思いました。

だから、赤ちゃんにたいしての声掛けが大事なのか!と腑に落ちた気持ちです。

声掛けがなくても、感情もパターンとして伝わるのでしょうが、大人側は言葉にすることで伝えやすいし、「あったかくて気持ちいいね」という音を愛情や優しさなんかの見えないものとセットで知って心地いい感覚として味わうのでしょう。

あいさつが大事なのは、パターンを作りやすいのもあるかもしれません。「あったかくて気持ちいいね」とは実況中継みたいなもので、パターンがありすぎですがあいさつはシンプルですもんね。

おはよう、いただきます、ごちそうさま、いってきます、いってらっしゃい、こんにちは、ありがとう、ごめんなさい、こんばんは、ただいま、おかえり、おやすみ。欧米風にだいすきも入れときます?あいしてるはなんかちがう。

 

もう一つ、私が個人的に大切だと感じたのは、意識高すぎカールパパの教育法に出てきた「子どもに戸外の自然の中ですごさせることを最優先した」という部分です。私たち大人が見慣れた光景であっても、赤ちゃんにしてみたらものすごい情報量だと思うんです。大人には見えないものを見ているんだろうなと。

それにずっと同じ家の中にいるよりは明らかに刺激が多いです。家の中ってあまり変化がないですが「外=自然界」って変化のかたまりです。生き物が変化し続けるのはもちろん、空も海も変わり続けています。変化している対象をパターン教育に入れられるかは微妙なとこですが「風が気持ちいいね」とか「チューリップがきれいだね」っていう世界も見せたいよなぁと思います。

そして、何より、自然が一番美しい。どんな上手な風景画よりも実際の葉っぱや花、空の方がきれいです。いまだに、雪の結晶という美しすぎるものが空から当たり前のようにたくさん降ってくることにびびります。畏怖ですね。

外を見て、美しくないものって人間がつくったものです。世界遺産ともなると人間がつくった建造物も美しいです。なぜでしょう。美しいデザインも自然界にヒントを得ているのでしょうか。

 

パターン教育として誰もが取り入れているのがやはり絵本ですね。「同じものばかり何度も読んでもらって飽きないのかしら?」と大人の感覚では思いますが、くり返しのパターンを自然とおこなっているんですね。赤ちゃんが絵本を読んでもらっていて楽しそうなのは、漢字カードともつながります。漢字を覚えるのが楽しいだなんて、大人の私にはもうない感覚です。「~なんて」とか言っている時点で、損得の狭い世界にいますね。。

 

大人からするとなにが楽しいのかわかりませんが、パターンをくり返して何かを吸収するのは赤ちゃんにとってはすごく楽しいのが事実のようです。

 

躾について

「しつけ」という言葉は、「早期教育」という言葉以上に、暗いイメージがあるかもしれません。私もそうでした。かわいそうなイメージがあります。

でも、そうじゃないと。私の好きなブロガーさんが躾という漢字は、「体を美しくする」と書いていてハッとしました。

井深さんも躾こそ1歳前からと書いています。

「しつけ」とは、そもそも社会生活を営むうえで、他人に迷惑をかけないように行動ができるようにすることです。たとえば、人に会ったら挨拶する、人に不快感を与えないように清潔を心がけるなど、こうしたことは、習慣として身についていればなんの苦もなくできることなのです。そして、0歳のときなら、それを簡単に習慣として身につけることができます。ところが、これが三、四歳をすぎてしまうと、だんだんむずかしくなっていきます。いちいち理屈で説明し、その行動をとらせるというのは、教えるほうもたいへんな労力がいりますし、教えられたほうも、そう簡単には身につきません。そもそも、しつけには、理屈抜きでそう行動したほうがいい、ということを身につけさせる意味もあるのです。

p.187

具体的には、お腹の中にいるときからくり返し良い行動のパターンを親が率先して示し、子どもがそれをまねするようになったら心からほめて、身につくまでさらにくり返すとのこと。反対に、しつけの考えにそぐわないときは、「それがいけない」と身につくまで根気よく訂正し続けたり、命の危険にかかわることなど重大なことの場合は、厳しい態度をとることも必要だそうです。

 

まさに躾もパターン教育なのですね。いやー適当に生きられなくてすごいプレッシャーですよ。子どもいないんですけどね。親になる前に自分の生き方を見直したくなりますね。

たまに、あの親でこのいい子?(たいへん失礼で申し訳ない)という場合がありますが、親を見て「こうはなるまい」と反面教師にするのかもしれません。でも自分の中に親のいやな部分を見つけたりして、刷り込まれた習慣を恨むこともあるかもしれない。勝手な想像です。

 

母親にしかできない教育

ただでさえプレッシャーだらけのお母さんに、井深さんは「パターン教育の鍵を握っているのは、あくまでお母さんだ」と、とどめを刺してきます。

赤ちゃんの可能性を引き出すのは、心理学者や教育学者などではなく、お母さんだというのですが、それならお父さんでもいいようなと感じました。カールパパすごいし。

一歩ゆずって、お母さん最強だとしても、お父さんはお母さんをサポートしないとお母さん疲れそうです。カールパパは奥さんにつねに愛情のこもった接し方をしたと、そんな神様みたいなことほんとうにできるのか疑問ですが’(牧師はできるのかもしれん)、夫婦の仲がいいという、シンプルにそれが一番大事なのかと思いました。

 

まぁ自分が子どもを育てることになるかはわかりませんが、とっても興味深いテーマでした。いちおう準備として、今から挨拶を見直していこうと思います。結局は、丁寧に生きるということに集約される感じですね。

おうちリス

こんなに長い文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。おうちリスもへとへとです。

今回の本たち

表紙が違いますが新版です。絵のセンスが謎。

 

【追記】ヒアリング

書き忘れがありました。臨界期の例として、英語のRとLの区別ができないという興味深い話が出てきます。

井深さん本人だけでなく、海外赴任をしてひじょうに英語が達者なソニー社員も区別ができないと。

  • 海外赴任を経験して英語が達者なソニーの社員を集めて実験をしてみたけれど、完璧に聞き分けができる人がわずかしかいなかったそうです。

 

日本人がはじめて英語を習う中学生の時期よりずっと以前に、RとLを聞き分けれるか、そうでないかの分かれ道がある。少なくとも中学生では、RとLを区別する臨界期を過ぎてしまっているということです。

 

この本には臨界期の具体的な時期は書いてありませんが、検索した感じだとおそらく1歳以下でしょうか。英語と日本語では周波数が違うとも言いますよね。真偽はわかりませんが、日本語にはない音を聞かずに育ったら、必要ない音として、音を聞く能力が限定されていくのかもしれません。

 

大学時代、英語の授業で順番に音読する機会がありまして、日本人とは思えない発音の人がいたことを覚えています。勉強して努力して、ちょっと発音いいねというレベルではなく別格でした。

「聞き取れない音は発音できない」とも聞いたことがあります。発音やヒアリングが全てではないけれど、臨界期後の努力を思うと、何かしたくなりますよね。

 

小さいうちから英語の何かを流しておいたらいいんでしょうか?歌とか楽しくていいかもしれない。この分野はいくらでも英語教材が出てきそうですが、お勉強ではなく耳を育てたいだけだからたいそうなものでなくていいような。

実体験がなくて申し訳ないです。

 

発売が2月13日ですがこれなんか目的に合っていそうです。

 

こちらの記事に続きます。

『 日本の 礼儀作法 ~宮家のおしえ~』感想